Waterworks
Waterworks Radio

出島

建設 1641 - 1854
所在地

長崎県

1641年、オランダ東インド会社(VOC)は日本の鎖国政策の一環として、平戸から長崎湾の小さな人工島である出島に移転しました。出島は2世紀以上にわたり日本と西洋各国との唯一の窓口として機能し、そこで貿易を許された唯一の外国人はオランダ人でした。オランダ人は生糸、綿花、砂糖などの商品を、銅、銀、磁器などの貴重な日本の輸出品と引き換えに取引をしていました。オランダ人は商業を促進する上で重要な役割を果たしていたにもかかわらず、島に閉じ込められ、移動が制限され、厳しい規制が課せられていたため、彼らにとって出島は​​繁栄した貿易拠点というよりも「豪華な監獄」のようなものだったかもしれません。

日本の鎖国中、出島は日本にとって西洋の知:特に医学、軍事技術、科学の分野の門戸となりました。「蘭学」は、つまりオランダ語を通じて西洋の学問を学ぶのは当初、日本人通訳者だけでしたが、後に幕府お抱えの学者を含むより広い層に広がりました。蘭学の研究は、日本が西洋の進歩に遅れをとらないようにするために役立ち、日本の統治力と軍事力強化の過程で、ますます重要になってきました。開国によって日本の鎖国が解かれる1854年まで、出島はこうした交流の中心地でした。

Civil engineering has shaped urban form and planning in Japan for centuries.
For long, the country has been threatened by natural hazards such as flooding,
typhoons, earthquakes and tsunamis — with engineering traditionally
providing the necessary defences.

During the Meiji era, the Japanese government invited Dutch hydraulic engineers
('watermannen') to help improve water infrastructure. Their innovative solutions
exemplified international collaboration during Japan's critical modernisation
period and underscores the enduring bond between both nations.

Initiated by Field Records, Waterworks covers over 50 Dutch waterworks developed
across Japan during the Meiji era. Navigate around the map and click on sites' names
to learn about their development — often accompanied by visual or sonic impressions.

長い間、台風、地震、津波などの自然災害に脅かされてきた日本。土木工学は従来より災害防御の
手段として、何世紀にもわたり日本の都市形態と都市計画を形成してきました。明治時代、日本政
府はオランダの水利技術者(「ウォーターマンネン」)を招き、国内の上水道インフラの改善に協力
してもらいました。オランダ人技師達が伝えた革新的な技術は、日本の近代化の重要な時期に大き
く貢献した国際協力の好例であり、両国の永続的な絆につながっています。

革新的な影響を与えたにもかかわらず、オランダ人技師による日本の治水管理への貢献は、今まで
大きく注目されていませんでした。本展示「Waterworks」は、明治時代に日本各地で開発された50
か所以上のオランダ上水道跡を展示した、フィールドレコーズ始動の日蘭共同プロジェクトです。
地図上の史跡名をクリックして、その場所の写真や音響とともに、歴史や開発当時の様子を学んで
みてみてください。